2007年10月1日月曜日

タスクンさんとの電話から

昨日阿蘇敏文代表が在籍する百人町教会にて「ジランちゃん一家を支援する会」の東京高裁第二審直前緊急ミーティングを行いました。

タスクンさん本人も同席する予定でしたが、「
クルドを知る会」のイベントに出席していたら会が盛り上って長引いたため出席できませんでしたと、夜電話がありました。

裁判や次回の出頭を間近に控え、さぞや緊張しているのではと思いきや、タスクンさんは相変わらず朗らかで落ち着いていました。国家権力による少数民族の弾圧や入管での収容所生活という、いわば生き地獄を潜り抜けてきた人には何か特別な強さが備わるものなのでしょうか。

会って直接様子をうかがうことはできませんでしたが、いまのタスクンさん家族の様子について、他の非正規滞在となっている人たちについて、またその背景にある彼らの窮状について話を聞くにつけ、相応の理由があって逃げ場を求めてこの国にやってきた人たちと共生していけるための枠組みを、私たちが急いで構築していかなければならないと強く感じました。


一方で、タスクンさんから聞いたいろんな支援者の方々の話、たとえば「
牛久入管収容所問題を考える会」代表の田中喜美子さんは、クルド人みんなからインターナショナルおかあさんと呼ばれて大変慕われているということを聞き、小さいながらもしっかりとした支援の根が日本という乾いた大地にも根付いてきているのだと知らされ、うれしい思いでした。

タスクンさんは、2004年に難民認定を求めて国連大学前で座り込みを行ったカザンキラン、ドーガン二家族とはトルコの同じ村出身だそうで、軍隊による焼き討ちに遭って、この二家族と同時期に日本へ逃げて来ました。この二家族の決死の訴えによって、多くの人が初めて今ここ日本での「難民」や「クルド」の深刻な事態を知ったのではないでしょうか。

タスクンさんも、「
日本の人たちは皆、いろんなことを知らなすぎる。まず、日本で難民がどんな扱いを受けているかということをもっと知ってほしい。」と話していました。私たちには、彼らの支援を通してこの国の現実をより深く知り、問題改善に向けて行動していく責任があるのではないかと思うのです。

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